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なんでも気ままにつらつらと書き記すブログ。カオスを言語化へ。

年収1000万円超の村?!バナナで釘が打てる町?!昔は3つの県だった?! ~あなたの知らない北海道~

どうも~ブログ歴二日のほっかい賢太ですう“ぅ”ぅ“ぅ”ん“

 

北海道は総面積83,450㎢(北方領土を含む)で、オーストリアとほぼ同じ面積である日本最大の都道府県である。(因みに2位は岩手県15,280㎢)

そんなでかすぎる北海道についてぱっと思いつくのは美味しい食べ物に、豊かな自然、スキー・スノボーなどウィンタースポーツ盛んなどなど…が、挙げられると思う。

 

だがしかしッ!北海道を知れば知るほど、色々な面白い特徴があるのだッ!今回は自称北海道Loversの著者が北海道の知られざる北海道について少し触れていきたいと思いまsooon!!

 

 

 

Today Topic: Deep in北海道

 

 

 

 

 

 

1ホタテ漁で大儲け!?猿払村 

北海道宗谷郡猿払村。北海道の最北部、オホーツク海側に面した場所にある人口2,761人(201910月現在)の村である。この村では昔はニシンなどオホーツク海の豊かな海の幸を享受しながら生活していたが、乱獲により漁獲量が大幅に減少。さらに石炭と木材で潤っていた村の経済も、昭和40年代に入ると衰退し始め、とてつもなく貧乏になってしまったのだ。「貧乏みたけりゃ猿払へ行きな」などと言われたのもこの時代である。

 

このままじゃマズイ!崖っぷちに立たされた中、当時の猿払村の漁協組合と村長は腹をくくって『ホタテ貝の稚貝1400万tを海に放流し、3年かけて育ててから水揚げする』という、起死回生の策を打ち出した。この計画で3年間にかかる費用は約4200万円。当時の猿払村の税収は約4600万円ですから、どれほど大がかりであったことかが伺える。

 

稚貝を放流してから3年後の1974年、初水揚げされたホタテ貝は1674tに及び、更に翌年翌々年になるにつれてそれぞれ4300t3t大量に水揚げされるようになったのだッ!

まさに奇跡の大逆転劇ッ!その後もコンスタントに大量のホタテ貝が水揚げされ続け、1986年の漁師一人当たりの年収は4000万円にもおよんだという。村のあちこちに白い壁の高級住宅が建てられ、高級車がひしめいていたという。

 

 

2日本一寒い町!陸別町 

北海道の十勝地方・足寄郡にある陸別町。町名の由来はアイヌ語の「リクンぺッ(高いところにある川)」である。この町は周囲を山に囲まれた盆地のため、寒暖の差が非常に激しい。真夏では最高気温が30℃を超えることも、真冬には最低気温が-30℃を超えることも珍しくないのである。この気温は髪の毛がこおり、バナナで釘が打てる気温である。もはや「寒い」を通り越して「痛い」と表現するのが妥当なくらいだ。

 

これだけ寒いと、ある気象現象が観測できるのだ…。そう、オーロラであるッ!

冬に気温が-30℃前後の日々が続く陸別町は、オーロラで有名なカナダの町イエローナイフ(ノースウェスト準州の州都)と同じくらいの気温になる。北海道では約10年に一度の確率で(近年だと2004年と2013年)オーロラを観測できるので、もし見れた方がいたらとてもラッキーィィィ!また、真冬には空気がとても澄んでいるので、星空もとても綺麗に観測することができる。天体観測にはうってつけなスポットといえるのだッ!

他にも、冬に行われる「しばれフェスティバル」や道の駅「オーロラタウン93りくべつ」、りくべつ宇宙地球科学館の「銀河の森天文台」などなど、見所があるのでぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか?

 

 

3次の駅まで40㎞。日本一長いローカル線駅間距離

北海道の鉄道輸送を担っているJR北海道だが、駅間が約40㎞というとてつもなく長い区間があるのだ。その区間石北本線の上川駅と白滝駅の間である。(37.3km)この区間には元々駅が5ヶ所あったのだが、人口希薄地帯であることから鉄道の利用者も少なく、それらの駅は信号場(単線区間で、対向列車の行き違いを待避する場所)に格下げされたり、廃駅になったりした。 ※上川駅と白滝駅の画像

この駅間距離はJR新宿駅JR八王子駅の間(37.1km)よりも長い。新宿から八王子までノンストップとなると特急顔負けである。

 

 

4過去に存在した函館県・札幌県・根室

今の北海道は北海道本島とその他離島から形成される広大な単一自治体となっているが、明治期の北海道は3つの県に分かれていたのだ。 

その県の名前は「札幌県」「根室県」「函館県」である。明治初期の北海道の三大開拓拠点であり、188228日にこれらの地域を中心とした3つの県が設置され、更に翌年には北海道全体を管理する当時の農商務省直轄の北海道事業管理局が設置され、俗にいう「三県一局時代」が始まる。が、しかし北海道開拓の方針を巡って3県と北海道事業管理局との間で意見が対立し、かつ3県の人口配分があまりにも不均衡(当時の北海道の人口は265000人で、うち函館県は151000人、根室県はわずか17000人しかいなかった。)だった。その理由から、4年後の1886126日に3県と北海道事業管理局は廃止され、内務省直轄の北海道庁が設置されたのだ。

 

 

5北海道の名付け親・松浦武四郎

古くから北海道は蝦夷地と呼ばれていたのだが、いつから北海道は北海道と呼ばれるようになったのだろうか? 実は北海道の命名した名づけ親がいるのだ。

 

その名は松浦武四郎ッッ!!! ※武四郎の画像

 

松浦武四郎1818~1888年)は紀州和歌山藩の地士(下級武士)の四男として生まれ、17歳のときから日本中を旅して周った。その道中で、蝦夷地には六回ほど訪れており、詳細な記録を残した。その経験が活かされ、明治政府の開拓使の判官となる。

また、蝦夷地の名称に関してロシアの脅威等から、名称を変更して日本の領土であることを国内外に宣言する必要があるという意見が続出していた。

そのような流れで蝦夷地の新名称を名付けることになった松浦武四郎は、1869年に蝦夷地の新名称に関する意見書を明治政府に提出した。候補として、「日高見道・北加伊道・海北道・海島道・東北道・千島道」の6つを挙げた。そのなかで、北加伊道の「加伊」の文字を「海」にして、「北海道」とアレンジしたことで、現在の名称になったのである。

 

 

 

いかがだったでしょうか?北海道についてはまだまだ書くときりがないことで溢れているので、また気が向いたら北海道のdeepな部分とか扱っていきたいと思いまsoooonnn!!

 

 

 

先が見えないィィィ!

ブログを始めてみたものの一体全体何から手を付けて書けば良いのか少し困るところではあります。 

僕は結構、実生活でも頭の中で考えがまとまらないうちに口に出してしまうたちなので、ここはひとつ頭にあったことについて記そうと思います。ブログは初めてなので色々書き方を試そうかとおもいまsoooon(^^。

 

[死の先には?]

いきなり死についてブログで書くと中々いかかがなものかと自分でも思うが、頭に思いついたので一つ書いてみます( ゚Д゚)

僕らは生まれてから「死」というゴールに向けて突き進んでいます。最近は脳をクラウドにアップロードすることによって実質不老不死になるという、秦(古代中国の王朝)の始皇帝(秦の初代皇帝。不老不死を求めていたことで有名)も渇望していたような状況がすぐそこまで来ている現実もありますが、それらも人間の「死」に対する一つの態度の表れといえます。 

「死」といっても様々なぬぐえない謎がたくさんあります。なんで生物は死ぬのか?死んだらどこに行くのか?などなど、、、  ふとした時にこれらの謎が頭に浮かんでくるのですが、日々の生活に追われて結局深く考えずに終わってしまうというサイクルを繰り返してしまうのです(笑

本格的に「死」について考えると分厚い本何十冊にも及ぶので今回は深い考察はせず、「なぜ人は死を恐れるのか?」という点に絞っていきたいと思います。初めに私の結論を簡単に言わせてもらいますと、その理由は「その先が見えないから」だと考えます。

 {その先が無いッッ!}

先が見えないというのは実に怖いだと思います。試しに片足立ちをしてみてください。目を開けたまま片足立ちをしたら簡単にバランスを維持することができますが、目を瞑ったまま片足立ちをすると、途端にグラグラッとバランスが崩れ始めます。けれども目の前の景色をイメージしながら片足立ちをすると、上手くバランスを保つことができます。それと同じように、死んだ先には何が待ち受けているのか誰も知る由がありません。 

人は目標があるかどうかで大きく変わります。例えば大学受験。日本の高校生の約半数が大学へ進学する現代ですが、トップクラスの大学(東大、京大、旧帝大早慶などなど)になるにつれて受験競争が激しくなっています。僕自身は、第一希望の大学がとある国立大だったのですが、高校生当時の僕はめちゃくちゃその大学に行きたかったので、必死に受験勉強をしたのを鮮明に覚えています。あの時「絶対に俺は○○大学に入るんだッ!」という強固な目標があったので、ある意味充実した人生の一時だったと思います。また受験直前には、第一志望に合格しようとしまいと、大学に入学後の充実した大学生活を容易に想像することができたので、不安はそこまでなかったのも覚えています。

けれども先程述べた通り「死」の先に何があるのかは誰にもわかりません。その先を見ようと(或いは死に対する恐怖を克服しようと)、人類は哲学、宗教、伝承、科学などなどの分野を駆使して「死」に対する理解を深めようと努力してきたのです。

「死」の先に何があるのかは分からない。けれども、それらの恐怖を超えるような充実した(目標のある有意義な)人生を過ごせれば、「死」に対する見方も大幅に変わるはずだ、と僕は思います。

 

眠いなか拙い文章になってしまいましたが、こんな感じで色々書いていきますので、宜しくお願い致します。

P.S 最近「DEATH 「死」とはなにか」という本も買ったので、また「死」に関する考察はしていきまsoooonn