free diary

なんでも気ままにつらつらと書き記すブログ。カオスを言語化へ。

先が見えないィィィ!

ブログを始めてみたものの一体全体何から手を付けて書けば良いのか少し困るところではあります。 

僕は結構、実生活でも頭の中で考えがまとまらないうちに口に出してしまうたちなので、ここはひとつ頭にあったことについて記そうと思います。ブログは初めてなので色々書き方を試そうかとおもいまsoooon(^^。

 

[死の先には?]

いきなり死についてブログで書くと中々いかかがなものかと自分でも思うが、頭に思いついたので一つ書いてみます( ゚Д゚)

僕らは生まれてから「死」というゴールに向けて突き進んでいます。最近は脳をクラウドにアップロードすることによって実質不老不死になるという、秦(古代中国の王朝)の始皇帝(秦の初代皇帝。不老不死を求めていたことで有名)も渇望していたような状況がすぐそこまで来ている現実もありますが、それらも人間の「死」に対する一つの態度の表れといえます。 

「死」といっても様々なぬぐえない謎がたくさんあります。なんで生物は死ぬのか?死んだらどこに行くのか?などなど、、、  ふとした時にこれらの謎が頭に浮かんでくるのですが、日々の生活に追われて結局深く考えずに終わってしまうというサイクルを繰り返してしまうのです(笑

本格的に「死」について考えると分厚い本何十冊にも及ぶので今回は深い考察はせず、「なぜ人は死を恐れるのか?」という点に絞っていきたいと思います。初めに私の結論を簡単に言わせてもらいますと、その理由は「その先が見えないから」だと考えます。

 {その先が無いッッ!}

先が見えないというのは実に怖いだと思います。試しに片足立ちをしてみてください。目を開けたまま片足立ちをしたら簡単にバランスを維持することができますが、目を瞑ったまま片足立ちをすると、途端にグラグラッとバランスが崩れ始めます。けれども目の前の景色をイメージしながら片足立ちをすると、上手くバランスを保つことができます。それと同じように、死んだ先には何が待ち受けているのか誰も知る由がありません。 

人は目標があるかどうかで大きく変わります。例えば大学受験。日本の高校生の約半数が大学へ進学する現代ですが、トップクラスの大学(東大、京大、旧帝大早慶などなど)になるにつれて受験競争が激しくなっています。僕自身は、第一希望の大学がとある国立大だったのですが、高校生当時の僕はめちゃくちゃその大学に行きたかったので、必死に受験勉強をしたのを鮮明に覚えています。あの時「絶対に俺は○○大学に入るんだッ!」という強固な目標があったので、ある意味充実した人生の一時だったと思います。また受験直前には、第一志望に合格しようとしまいと、大学に入学後の充実した大学生活を容易に想像することができたので、不安はそこまでなかったのも覚えています。

けれども先程述べた通り「死」の先に何があるのかは誰にもわかりません。その先を見ようと(或いは死に対する恐怖を克服しようと)、人類は哲学、宗教、伝承、科学などなどの分野を駆使して「死」に対する理解を深めようと努力してきたのです。

「死」の先に何があるのかは分からない。けれども、それらの恐怖を超えるような充実した(目標のある有意義な)人生を過ごせれば、「死」に対する見方も大幅に変わるはずだ、と僕は思います。

 

眠いなか拙い文章になってしまいましたが、こんな感じで色々書いていきますので、宜しくお願い致します。

P.S 最近「DEATH 「死」とはなにか」という本も買ったので、また「死」に関する考察はしていきまsoooonn